ひとりごとですけども

ひとりごとをひとり呟く場所

すくすく

ぼくの家には、ちいさなパキラがいる。

前に、初めて家にカランコエを迎えたときはうまく元気に保ってあげることができなかった。だからパキラは、会ったことはないながらにカランコエから数えて二代目ということになる。

このパキラはなんだか不思議で、ぼくに多くの知らないことを教えてくれる。初めて植物を育てているぼくが、植え替えに困って植え替えてくれる植木屋さんを求めてパキラ片手にさまよったり、したこともないことをたくさんしている。

面白いもので、パキラがどういう植物なのかもしらないまま迎えたにしては、いい塩梅に環境を整えられているらしい。まいにち葉っぱをゆるゆる伸ばして、広げて、のびのび日光浴をしている。

どうやら幹が太くなったり成長したりはしないらしく、幹には似合わないくらい多くの葉っぱを頭に抱えている。全部同じところから生えてきているのが面白い。

二カ月ほどテレビの横に根を張っているパキラを目に入れるたび、元気にすくすく育ってくれよ、と願わずにはいられない。

インプット、そしてアウトプット、アウトプット、そしてインプット

先月はブログを全然更新していなかった。自分が好きでやっていることに言い訳するのもなんだが、旅行にパソコンをもっていかなかったこともある。

まあ誰に悪いわけでもないし、もっと率直にいうなら気が乗らなかったのだ。たぶん、先月はインプットで忙しかったからアウトプットを思い出しすらしなかったのだ。

今月と先月、なんの違いがあるわけでもないのだけれど、インプットとアウトプットには時期があるのだ。

たまにどうしても我慢できずに、短文をTwitterに投稿し、投稿したとたんに満足して削除したり、そういうことをしてしまう。それがぼくにとってのアウトプットの時期を見極めるサインなのだ。

インプットの時期にも、前兆がある。旅行に行きたくてたまらなかったり、映画や美術館への関心が高まったりするのだ。

自分のことだけど、なにか自然の摂理に操られる、コントロールできない部分を感じる。そういうこころ、大事に生きていきたいものである。

best

人生にはタイミングがある。

先日、親に黙って海外に飛んだ日に、祖父が倒れた。人生を投げ出すのもまたいい選択ではないか、と感じてすぐにずっと会いたかった人と偶然会えた。前にも書いたが、本当に神様はよくぼくを見てくれている。

ずっと見たいと思っていた映画でも、録画をずっと見れなかったりするし、まったく意識していなかった本を突然読破してしまったりする。

ぼくは学生時代、プロテスタント、それもカルヴァン派の考え方を多く吸収してきた。だから、予定説にはとても親しみを感じる。当時はその概念を曖昧に、感覚的に学び完全な理解には至っていなかったと思う。

社会とかかわるようになり、人に説明するなかで徐々にぼくはこの概念を愛し、こころのなかに抱くようになった。人生には、good、badの他に、bestがあるのだ。

人生で起こることはなにもかも、bestのタイミングで訪れているはずなのである。今日のぼくには懐かしい再会があった。明日のぼくには新しい舞台との出会いがある。bestな出会いに、ぼくはどんな風に変化し、生きていくのだろうか。

カルヴァンが理想とする布教が、ぼくにできているとは思わない。それでもぼくはときどき、カルヴァンに感謝したり、会って話してみたいなと思ったりするのだ。

素人は黙っとれ

恥を忍ぶ、という言い回しが日本語にはある。

ぼくはとっても日本人なのでよく、なにかを始めるとき、なにかをしなくては、と思い浮かべたときに恥をかく未来を想像しては足踏みをしてしまう。

民族としてセロトニントランスポーターが少ない、と脳科学者の中野信子氏が言っていたことを言い訳にしたりもできるかもしれない。

でも、いままでの人生で恥をかいて、あ~~~~死にたいな~~~~~と思わせるようなことをしたときに、肝心の不安心は生まれていなかったように思う。

ということは、ぼくの不安感知は、仕事ができないやつなのではないだろうか。なんでこんなに、人生の選択を仕事をできないやつに左右されているのだろうか。

新しい決断をするとき、直感力を鍛えて仕事のできるやつにだけ決断決定権を渡したいものである。

にゃあ

ぼくは旅行が大好きだ。今年の夏も、9月のほとんどを旅行に費やした。

ぼくにとって旅行は、全責任の放棄に等しい。ときどき、ねこになりたい人をtwitter等で見かけるが、旅行中のぼくはねこになれるのだ。いいだろう。

というのも、ぼくにとっては始めから旅行とはねこになることなのだ。

ぼくの従兄弟は、日本ではない国に育った。ぼくはよく母とふたり、もしくは祖父と三人で従兄弟を訪ねとんだものだった。

当然、従兄弟たちにはその場で営む生活があって、いかなきゃいけない場所、起きなきゃいけない時間、しなきゃいけないことがあった。ぼくにだって、日本にいる限りつきまとう社会との約束がある。でも、従兄弟たちの国にお邪魔するあいだ、ぼくはねこだった。

幼稚園や学校は行かなくていいし、朝は何時に起きてもいいし、誰かと話さなきゃいけない義務も、するべきこともない。ぼくはそんな時間が大好きだった。

それでも、いろんな観光地へ行ってみたりその地に根差した生活を垣間見たりするのも、自分の好きなときに好きなだけしたくなってきたのがいまのぼくだ。そんなぼくは、ねこときどき人間として旅行に行く。

帰国してすぐ、荷ほどきをする。荷ほどきが次の旅行への準備のように感じる。さあ、次はどこでねこになろうかな。

 

お天道様が見てる

ぼくは特定の宗教を信仰しているわけではない。ぼくの祖母は熱心な仏教徒だったし、ぼくの出身中学はプロテスタント、ぼくの従弟はカトリック教徒だ。神社にいっても、教会にいっても、同じようなものを感じて同じようにお祈りしている。テストの前とか、逼迫した危機に際したときだけ神様に心から祈るタイプの無宗教信者だ。それでも、ぼくの心の中には神様がいて、お天道様は見てるのだと感じることがある。

この夏、ぼくは母親の反対に抵抗して黙ったままロシアへの旅程を組んでいた。一週間前にスペイン旅行をくむことで、旅行会社からの書類が届いても怪しまれないようにする徹底ぶりだった。半年間でこつこつ地道に貯金して、旅費だってなんとかした。

そんな旅行の初日、乗り換えのシェレメーチエヴォ国際空港で携帯を開いたぼくは、自分の血液が頭から、つま先までザっと引いていく音を聞いた。ぼくが人生でいちばん、死から遠いところに逃げてほしい、祖父が救急車で運ばれたというのだ。

ぼくはロシアに出発する前日、祖父の家にいた。まだスペイン旅行の時差ボケがなおっていなかったけれど、ぽつぽつ交わした会話でぼくのおすすめの本の話をしたりしていつも通りだった。祖父は、ぼくが飛行機で離陸してすぐ、ぼくに電話をくれていた。

これが最後になってしまったらどうしよう。そう思うとぼくの冷えてしまった肝はうまく血液を運べなくなってしまって、いつも人並みはずれて暖かいぼくの掌は、おどろくほど冷たくなっていた。

幸い翌日には、祖父はすっかり元気になっていたのだが、ぼくの初めての悪だくみは出発後10時間でとん挫した。祖父は、いつもは体調不良とは無縁の人で、救急車とはてんで縁のない生活を送っている。それなのに、ぼくの悪だくみは想像もしなかった祖父の危篤で幕を開けた。お天道様、地球にはこんなに人がいるっていうのに、本当に僕をよく見てるよなあ。

ぼくは、選ばれる誰かではない。

もう誰かに才能を見出され世に知られるには成長しすぎたからだと、誰かに必要とされるには未熟なこころの集まったもの、ぼく。

中学、高校は楽しい時間を過ごした。だから、よく聞く才能ゆえ社会から拒絶されるほど、突出したなにかを持ってはいないと思う。

大学に入ってからは、自身の受動的な姿勢がなにをも生み出さなかったように思う。誰かに、ぼくとしてだけ必要されることもなく、絶対的な資格を得るでもなかった。

でも、そんな怠慢のうえに胡坐をかきながらなお、社会に出る準備をしている今、ぼくは不思議とじぶんは選ばれる誰かではないのか今一度うたがっている。あまりにも、自分は社会に受け入れられるなにかではないと思うからだ。

この息苦しさを誰かに選ばれるなにかを持っている代償だと思わないことには、どうにも腑に落ちないのだ。本当に選ばれる誰かは、こういうことで悩むことはないんだろうとわかってはいるけれども、だ。