プレイリストのはなしごたび
先日、友人ととても共感しあう話題があった。初対面の人や、よく知らない人と盛り上がるには少しナーバスで価値観の核に触れるような話題だった。思い返してみれば、生徒として学校に通っていた頃は、そういう話題を出すことに対して全く抵抗がなかったように思う。どうしてだろうか。
中学、高校の頃は極めて限定された社会にぼくらは生きていた。そこは、良識ある大人たちに守られた箱庭で、ぼくらは社会のなんたるかを全く見ずに過ごしていた。
守られた空間で、ぼくらは価値観の話をたくさんしたしお互いを尊重しあって生きていたと思う。ときに戦い、ときに受け流すことで共存を図っていた。守られた空間を飛び出した今となっては、確固たる地盤があることで生まれる気持ちの余裕がお互いにあってこそだと思う。
プレイリストのはなしをするとき、ぼくはどのジャンルの話をするかということを限定しないし、他の人の目を意識することがほぼない。しかし先日、音楽の趣味からステレオタイプとしてその人を判断する要素になりえるのであまり話をしないという人に会った。こういう話をするとぼくが思うよりも、この社会は価値観で分断されているのかもしれないと思うのである。
〇Twenty-three / IU
日々対立する自意識を適格に軽やかに歌う曲。IUがアイドルではなくアーティストだと知らしめる作詞力。共感する風や突き放す風でもない、不思議な距離感がリズムと相まってMVの世界観にぴったり。
〇POP/STARS / K/DA
K-pop×洋楽×ゲームCGという掛け算の曲。世界観がしっかりしていて多国籍言語で進むのが近未来的で好き。
〇Heart Attack / LOONA/Chuu
恋愛に一生懸命で一直線な女の子のうた。かわいらしい声質と、幼げな顔つきが相まって初恋っぽさが満載。MVでは相手が女の子なのも今っぽいし、可愛さを助長していると思う。パフォーマンス時振り付けの最後に、胸を打たれて倒れるところも可愛い。
プレイリストのはなしよたび
みたびの次は、よたび、というらしい。久々プレイリストについての話をしようと思ったら、タイトルでふと考え込んでしまった。
生まれてこの方日本語と生きてきても、いざ調べてみると知らないことばかりで面白い。ぼくは人の書いた文章を読むときでも、ひとつかふたつ知らない単語があるくらいの文章を好き好んで読んでいるように思う。
でもその反対に、どんなに心惹かれて読んでいた文章でも一つ単語の使い方が間違っていると、そこにとらわれて気もそぞろになってしまうことがある。
りゅうちぇるが息子の誕生に際して書いた記事も、フィードバックとフラッシュバックの誤用が気になりすぎて、一週間くらい柄にもなくおせっかいなメッセージを送るか悩んだほどだった。
同時に、ぼくは自分の書いた文章に間違いがあれば指摘してほしいと思っている。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥である。しかしまあ、正しい日本語の使い方なんて時代とともに変化するだろうし、共同体の中だけで使われる使い方もあるだろう。
いやいや、プレイリストのはなしに戻ろう。上記の通り日本語を気にするぼくが、耳あたりの良さだけで選ぶプレイリストである。
〇催眠術 / 女王蜂
聴いていると自分がJKバンギャだったのではないかと錯覚する一曲。文章の切れるところと音の切り方が心地よくて好き。
〇NOROSHI / 関ジャニ∞
未だあの脱退にから目をそらし何もなかったことのように過ごしながら、それでも聞くたびもうこの7人では歌わないのだと再確認させられる曲。力強く、背中をたたいて、横に並んでバカをして、決めるときは誰よりかっこいい。そんな7人にぴったりの曲。
〇兄弟船 / 鳥羽一郎
ぼくの実生活とかかわりが一切ないので共感が一つもないところが好き。歌いだしの波の谷間に命の花、がおしゃれ。夢の揺り篭とか、兄弟鴎なんて言葉の選び方もおしゃれ。美しい日本語で熱めの演歌なのが面白くて好き。
前半はプレイリストのはなしではなかったけれども、文字数も達成感もいい感じなので今日はこの辺で。
やっぱり好きな歌について誰に言うとでもなくつらつら話すのは楽しいな。
プレイリストのはなしみたび
最近、また新しい音楽のインプットに関心が向いている。
今日はリハビリもかねて、最近のプレイリストのはなしを。
〇WHISTLE / BLACKPINK
遅ればせながらBLACKPINKを聞き始めた。最初に聞いた曲があまり好みではなかったことで敬遠してしまっていたのだが、ビジュアルとコンセプトが好きなので絶対に好きな曲があるはずと再び挑戦し発見。事務所の特徴でもある歌唱力とビジュアルの強さが媚びていなくて好き。
〇No Hay Nadie Más / Sebastián Yatra
アメリカや全世界規模に名前の挙がるスペイン人アーティストはどうしても情熱的でダンサブルなナンバーに移行しがち。スペイン国内ではやっている曲に限定して調べるとゆったりしていて少し陰のあるラブソングが聞けて好き。ミュージックビデオも孤独だけど光のある自然のなかでとられていて好き。
〇Get Naked / Coming Century
いよいよ不惑を迎えられるアラフォーアイドル三人の楽曲。アルバム全体が最高だったのはもちろん、この曲はアイドルというファンから選ばれ消費される立場でありつづけるこの人たちにしか出せない色気のある曲で好き。あれだけ踊れる人たちが踊らない曲を歌っているのも好き。
〇Hey Baby / J. J. Cale
大好きな映画の挿入歌。DVDのメニュー画面でずっと流れている曲なのでその印象が強い。映画のストーリーも相まって、だれがわかってくれなくても自分が幸せならいいやとぼくの世界をやさしく包み込んでくれる曲。肩の力を抜いてくれる曲。
〇I Know What You Did Last Summer / Shawn Mendes & Camila Cabello
勢いのある若手二人のデュエット。声を楽器のように使うイントロの掛け合いが好き。SNS世代の恋愛の歌は、言われてないけど知っていることを抱えている曲が多いように感じる。また十年ほど時間がたてば傾向が変わったりするのだろうか。
〇虹 / Aqua Timez
先日初めて生で演奏を聴く機会があった曲。演出もあいまって、とても思い出深く印象に残った。当時ドラマを見ていたわけではなかったがAqua Timezはぼくの学生時代にちょうど身の回りにあったバンドで解散してしまうのは感慨深い。これからもこの曲を聞けばあの日を思い出すのだろうな。
〇Feelings / Maroon5
違う曲目当てで借りたアルバムでぐっと心をつかんだ曲。彼の高い音の出し方とシャウトの仕方が好きなので、ずっと好きなパートが続いているような曲。音のかぶせ方、コーラスの入れ方が好き。
夏の夜なべにしてはいい文字数では。それでは今日はこの辺で。
GIRLS JUST WANT TO HAVE FUN
GLEEのGirls just want to have funが好きだ。
Cyndi Lauperが歌うオリジナル版は、親との関係性が悪いことをあきらめていると思う。むしろもう一週回ってハイになって笑い話としてガヤガヤと音の響くクラブで友達に愚痴ったりしている。そういう曲だと思う。
軽快なリズムとちょっと不思議な調子の音で、非日常というか聞いている人とは少し縁遠い世界の話をしているみたいだ。
ぼくは親がよく聴いていたアルバムからこの曲を知ったが、特筆すべきお気に入りというわけではなかった。GLEEのGirls just want to have funを聞くまでは。
GLEE版の一番いいところは、スローになったテンポだと思う。曲初めのピアノと低くてゆったりしたフィンの声が、とても好きだ。
GLEE版のGirls just want to have funは、まだ親との関係をあきらめきれていない。思春期の彼らにぴったりのアレンジだと思う。親との関係を修復できるのか、自分として生きることが障害になるのか、思い悩む人に語り掛ける曲になっている。
この曲の歌詞に、mother dear we're not the fortunate onesという一節がある。Cyndiの歌うmother dearには少し皮肉めいたニュアンスがある。対してフィンのうたうこの一説には、哀れみがある。心の底から親しみを持っているのに、相いれないことを憐れんでいる。
Cyndiのうたう原曲には、このあと彼女はなにもかもを吹っ切って楽しい人生を謳歌できるのではないかという希望がある。今はもういないフィンが歌っていることもあって、GLEE版のGirls just want to have funにはもう取り返しのつかないなにかを感じる。
ぼくは、欠けたところに美を見出す日本人のはしくれとして、この曲が大好きだ。
ぼくらのミュージックライフ
昨日の関ジャムを見ていて、人にはそれぞれ人生に流れる音楽があってそれは世代とか親とかいろんなものに影響されて独特のかたちになるのだと思った。
ぼくにも、そういう歌がたくさんある。どういう音楽と一緒に育ってきたかを聞くこと以上に無意識下のぼくを知る方法はないと思うくらいだ。
ぼくの母は、80年代の洋楽とユーミンが好きで、それをBGMにぼくを車でどこにでも連れて行ってくれた。大人になってからも、耳なじみのある音楽は自分の育ったころはやっていた曲ではなくて母の影響を感じる選曲だ。
小学生のころ、ぼくは初めて音楽で泣く人に出会った。親友の家でふたりで彼女が好きな音楽を聴いているとき、彼女がその物語に感動して泣いているのを見てひどく驚いたものだ。
幼稚園児だったころ生まれて初めて買ってもらったCDには、生まれて初めてヘビーローテーションした曲が入っていた。車のBGMをはじめて自分で希望して変えてもらったのを覚えている。
当時のぼくには、音楽は車のBGMとして聞くものだった。それが変わったのが中学二年生のとき。
修学旅行で校則を破ってウォークマンを持ち込んでいた友人がいた。ぼくは音楽を持ち歩けてずっと聞いていられるなんて、と衝撃を受けたのを覚えている。次の誕生日にはすぐにiPodを買ってもらって自分だけのプレイリストを持ち歩けるようになった。
高校生になると、ミュージカルドラマにはまって音楽をストーリーや感情移入の一部と認識するようになった。このころから初めて歌詞の世界と自分の思い出をシンクロさせて音楽を聴くようになったと思う。
大学生になって、ぼくはライブの楽しみ方を知った。ライブビューイングがいちばん性に合っているようにも思えるが、映像に残らないかもしれない現場の空気を感じていつも聞いている曲を実際に歌っているところを見るって面白い。
ぼくにとって音楽はずっと聞き続けるものなので、アップデートのスピードは速くない。でもぼくはそういう楽しみ方が自分には合っていると思う。
これからはどんな音楽と生きていくのか、ぼくは人の音楽人生にどうかかわっていくのか、考えるとおもしろくって楽しいものである。
ここまで思い出せてるんだけどなあ
ふとした瞬間、突然あたまの中で音楽のワンフレーズが流れることがある。
ぱっと浮かんだそのメロディーは絶対に知っている曲なんだけどなかなか曲名はでてこないくらいの距離感で、なんとか曲名を思い出そうともんどりうつことになる。
こういう時に思い出す曲って、もう何年も聞いてなかった曲だったりするから不思議だ。どういう風にどうして脳がそう命令したのかわからないけど。
そのフレーズは、ちょっと意識が離れるとすぐ忘れてしまうのでぼくはよく携帯に鼻歌を録音する。後から何度か繰り返し聞いてようやく曲名を思い出したりする。
でもたまに録音する前に忘れてしまう時がある。そういう音楽はきっとぼくの中にたまってたまって、また巡り巡って脳の命令に引っかかってふとしたときに流れるんだと思う。
ぼくの頭のなかのことなのに、ぼくにはわからないというのが不思議だ。おもしろいなあ。
おしゃれ巣窟
TSUTAYAのレンタルって、たまに運命的な出会いがあって面白い。
ぼくの携帯に入っているYUIのCHE.R.RYは、1:08しかない。レンタルしてきたCDが傷ついていたからだと思う。不思議な愛着があってずっと途中までのCHE.R.RYだけを聞いている。
そんなぼくも最近はすっかりレンタルと疎遠になってしまってTカードの更新すら一年ほどさぼってしまっている。
TSUTAYAから足が遠ざかっているのには、制服の存在が大きいと思う。中高生の頃、通学路に蔦屋書店があった。ぼくからすると、蔦屋書店にいる大人はだいぶ私服に気を使うタイプで、少々怖いのだが制服に身を守られたぼくは堂々と過ごせたのだ。むしろ学校帰りにこういうところにくる、私服よりお洒落を演出できていたような気もする。調子に乗ってしまった、失礼。
だからというか、高校を卒業してから件の蔦屋書店には一度も足を運んでいない気がする。
レンタルを通した音楽との出会いには博打性が付きまとう。店員さんのPOPを読んでとても心惹かれても全く趣味が合わないときもあるし、ジャケ借りして失敗することも多々あった。
それでも素晴らしい出会いはたくさんあったし、絶対に忘れない思い出がその曲を聴くたびはじめてジャケットを手にしたときのことを思い出す。
そろそろTカードを更新しようかな。