Somewhere over the rainbow
Beyoncéの「If I were a boy」という歌がある。
この歌を聞くといつも、ぼくは胸が締め付けられるきもちになって泣いてしまう。
小さい頃から、この世のどこかにはとっても素敵な、差別も偏見も悩み事もない素晴らしい世界があって、
テレビで見ているキラキラしたセレブたちはみな、その世界に住んでいるのではないかと思っていた。
Beyoncéはその世界でもひときわ自信と強さにあふれた女性の権利の象徴のようだった。
幼いながらに、こんなパワフルで輝きをはなつ女性がいるんだ、と物語の登場人物を見ているようなきもちになった。
中学生の頃、「If I were a boy」を聞いた。
Beyonceは、ぼくらと同じ世界、抑圧の下に生きる女の子だったと知った。
今でもこの曲を聴くときにはその事実を突き付けられるようでぼくは涙をとめることができない。
日本国憲法によると権利を得るためには、不断の努力が欠かせないのだそうだ。
Somewhere over the rainbowは、この世界には存在しないのだ。
いまから、不断の努力で、ぼくらがぼくらのために作っていくものなのだ。
この曲を聴くとき、ぼくはいつもそのことを胸に刻む。