だれかの見てる世界
ドキュメンタリーが好きだ。
ぼくが知らないことをたくさん見せてくれるし、いけないところに連れていってくれる。
でも同時に、これは「誰かの見ている世界」でしかないとも思う。
もしぼくがそこにいたら、もしかしたら全く違うことをぼくは感じるかもしれない。
もしかしたらぼくが見ているのは作られた虚像なのかもしれない。
そう思いながら、それでもぼくはドキュメンタリーを見るのが好きだ。
ドキュメンタリーは、誰かの目を通して見ている世界は、ときに心に深く刺さることがある。
それは人と人のかかわりのなかでしか生まれない反応で、ぼくひとりだけでは得られないものだ。
それはときに重かったり不快だったり納得できなかったりする。そういう出来事の積み重ねがミルフィーユみたいになって人生のいろどりになるんだと思う。
言わないでも伝わるとか、理解できなくても干渉しないとか、必要な社会性はこういうところから育つのかも、とも思うのだ。