いつまでも子どものぼく
最近友人と親との確執についてよく話す。
ぼくと中高の友人たちは家庭環境や価値観がきっと似通っている。
だから違う境遇に身を置くいまでも、驚くほど似たような悩みを抱えがちだ。
最近では親とのコミュニケーションがうまくいっていない話が増えている。
会話が成り立っていないと感じるときもあるし、反論を許さない「親になったらわかるきもち」を持ち出されるともうどうしようもなくなってしまう。
そだててもらった恩や愛着を感じる。自分のなかに親の存在を確かに感じるし、それを好ましいとも思う。
それでも、ぼくと親の間には確執がある。
ぼくを心配するていをとった周りへの攻撃や、理解できない文化への不寛容、価値観の押し付けを感じるとどうしても許容できないと感じる。
ぼくは親と同一の存在ではない。それが親にはわからない。
幼い頃、ぼくは一から十まで親にはなすような子だった。一人っ子だったし、親との距離が近い子供だった。
きっと親からみたぼくはいつまでもあの日のぼくだ。金銭面での自立がこれを解決するのだろうか。それがすべてな気もするし、それでは根本的には解決できないようにも感じる。
誰が親の中のぼくを大人にしてくれるのだろうか。