ひとりごとですけども

ひとりごとをひとり呟く場所

先日、手で書いていない文章は賢い振りをしがちだと聞いた。それを聞いて少し怖くなってブログから遠ざかって過ごしていた(笑)

確かに、というか手紙を書くときはこう、俳句を作るときはこう、そしてパソコンで文章をかくときはこう。という無意識化に意識している様式があるように思う。

学校の課題でもないし、誰かに強制されたわけではないのだから好きに書いていいはずなのに、少しは賢くみられたいというような心持ちがあるのだろう。

手で書いている文章でも人に見られていることを意識してしまうと少しいつもと変わってしまう。不思議なことだ。

ぼくは英語に少々苦手意識があるので、英語の文章を書こうという気がさらさら起こらない。これも人に見られる場所でしか英語の文章を書かない性分が関係していることだと思う。その証拠に、誰かが言ったり書いたりしていたことを覚えていて自信があるようなときにはすらすらと書けるのだ。

誰のためでもなく書いているはずなのに、いつの間にやら雁字搦めに自分を見世物にしているのだろうか。意識していないと思っても意識しているって不思議だ。