ひとりごとですけども

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しょうがない的な

前にもすこし言及した気がするけれど、ぼくは大学受験で自分が本当にバカで期待に応えられない子だと周囲にばれると思って心底恐怖してぐるぐるその事で悩んでいた。

当時最も自分にとってよい解決策は、大学受験の結果発表直後までできるだけ遊んで思い残すことがないようにして、もし全部うまくいかなかったらまあその時は死ぬことだろうと思っていた。
結局そのときは、勉強を頑張って周囲の期待にこたえうるような学力をつけようとするでもなく、親を説得してもう少し下のレベルの大学にいく自分を受け入れてもらう努力をするでもなく、ただただ毎日学校で友達といるときだけを楽しんでそのあとは家で机に向かってただ時が止まらないかな、と他力本願に思うだけですごしていた。

そのころ親しくしていた大学生に、それは考えてるんじゃなくてずっと悩んでるだけだろと言われたのをよく覚えている。ぼくはきっとどんなに苦しんでも考えるんじゃなくて悩んでふわ~っと時の経過を待つのではないかと腑に落ちたのだ。

そもそもぼくにはいま自分が悩んでいることに対しての問題解決能力が人間に備わっているとは思えないのだ。

例えばQUEENの曲をきいて、ぼくも同じことで悩んでいると共感したり、大昔の出来事に関する文献を読んで思考回路はいまの人間と大差ないなって思うときより強く実感する。

そりゃ考えてみればいままで地球の歴史で気が遠くなるような数の人が同じようなことで悩まされているんだし、外からの予想外の刺激で問題を回避できたりするかもしれない以外はもうどうしようもないと思う。ぼくたちにとって悩みは常に天災と同じようなものだと思うのだ。

大学受験で失敗したら自殺すればいいやって思っていた高校三年生のぼくは、死にたいわけじゃなかった。ただ天災が起きているんだから自分が死んだってしょうがないよな、というきもちだったのだ。

こういう思考回路はなかなか人に説明しづらいし、受け入れてもらいづらい。まっとうな人間はこういうことで悩んだりしないのだろうか。とりあえず、今、ぼくはまだ天災の最中生きている。