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だれのことも消費しないゲーム

ぼくはメルクストーリアというゲームを4年ほどやっている。

これは、携帯アプリゲームが苦手なぼくにとって、驚異的な記録だ。

携帯アプリゲームに課金することは生涯ないだろうと思っていたのに、4周年のときには思わずお礼の気持ちから課金をしてしまったほど、ぼくはこのゲームが好きだ。

最近、少しゲームの芯、核となる価値観が変わってきたように感じ、今ぼくがどうしてこのゲームが好きか、発信することにした。

 

メルクストーリアは、とてもやさしい。だれのことも性的に消費しない。

それがぼくにはとてもうれしい。

例えば、ぼくらは生活のなかで多かれ少なかれ他人を消費しようとする。

「女芸人とはつきあえないよな」「あいつもう少し顔が良ければ彼女もできるのにな」「痩せたらかわいいのにね」

多くの言葉は自分勝手に、ガムをかむように、そしてそのガムを路上に吐き出すようにこの世にあふれる。

当然、ゲームの世界にもそういった言葉や価値観は浸透している。

育成に消費されるためだけのキャラクター、ガチャで排出されるとハズレ扱いされる「魅力」のないキャラクター、異様な露出のキャラクター

そのすべてが一時的な消費の方向を向いているように感じる。

それがぼくにはとても耐えられない。こころを割かれて少しずつじわじわと殺されるように感じる。

そんなぼくはずっと携帯アプリゲームが苦手で、なににも手を出さなかった。課金する意味や課金したいと思う気持ちがわからず、どこかほかの世界の話を聞くようなきもちで課金の話を聞いていた。

 

初めてメルクストーリアに出会ったのは、高校の先輩の紹介だった。

とてもやさしい先輩は、「育成のためだけのキャラクターがいないゲームがあるよ」とメルクストーリアを教えてくれた。

最初はそのシステムの優しさに驚いた。メルクストーリアでは、レア度が五段階ある。そのうち下から二番目よりうえのキャラクターは、みんないいところがある。

育てて進化させてアイテムを持たせることで上のレア度のキャラクターにも対抗できるほど強くなるし、みんななにかしらに特化している。

配信後すぐに登場した古株のキャラクターも、最新ガチャで追加された新顔も、等しく育てて愛でることができる。

大げさかもしれないけど、やさしい世界の実現は、こういう形で達成されるのだと思った。

 

だから、四周年を迎えたメルクストーリアに、お礼を伝えたかった。

それがぼくの人生初の課金だった。ありがとう、こんなやさしい世界をてのひらにもてて、ぼくはしあわせです。

そういう意味の課金だった。もしかしたらこの後、メルクストーリアは違った価値観に基づいたゲームになっていくかもしれない。

そのときにはぼくはメルクストーリアをやめてしまうだろう。それでもぼくはお金を払っても構わないと思った。お金を払ってお礼を伝えたいやさしい世界があった。

それを覚えておきたくて、それがもしかしたら伝わるかもしれないと思ってこの文章を書いた。