たくさんのふつう
ぼくはLGBTが主人公の創作作品をなかなか見れない。
彼らが誰かに傷つけられないか、誰かが彼らの幸せを奪おうとするのではないか。
見ている間ずっと、ぼくは気が気ではない。ずっと、ずっと怖い。
攻撃された表現がなくても、誤解を招くような表現だったりバカにしたような表現があると心臓を絞られるような気持ちになる。
ぼくはマイノリティだと思う。性的嗜好がマイノリティかはわからない。
社会的なステータスが少数派に属していると思うということだ。
ぼくには特筆すべき特徴があるわけではない。それでも、たまに攻撃される。
自分たちと違う存在は、すべて自分たちが蹂躙してかまわないと思っている人たちが、本当にいるのだ。
そういうとき、ぼくは本当につらい。その気持ちを作品を見ている間、何度も追体験してしまうのだ。
それでもぼくは、LGBTが主人公の作品がもっと増えたらいいと思う。
ハリウッド映画が白人、異性愛者ばかりだった時代は終わりつつある。ブラックパンサーは、新たな時代が来たんだと思わせてくれる。
もっと「ふつう」が大きくなればいいな、と思う。他人の生き方に、だれも口を出さない時代が来る。
その時代がきた暁には、ぼくはたくさんの作品を見たい。安心して、こころからリラックスして。