でも救いはないね。
すばるくんの最後のテレビが終わった。一晩たってもぼくはまだ関ジャニ∞のすばるくんではないすばるくんを想像できない。まだこのきもちがなにか言葉にすらできないでいる。
先日関ジャニ∞のすばるくんについてのブログを書いたとき、多くの人がぼくの文章を読んでくれたことを知り、ぼくは岡田准一が結婚したときのことを思い出した。
昨年のクリスマス、岡田准一が結婚した。正直いろいろ思うところがあった。そのとき、ある人の描いた文章でぼくは、とても救われた。
どうしてぼくが傷ついたのか、なにがひっかかっていて祝福しきれなかったのか、丁寧に解きほぐしてくれるような文章だった。これからどういう姿勢でV6を応援するかの指針を決めるうえで、あのブログはとても大きな役割を担ってくれた。
あのとき、ぼくは自分のきもちを代弁してくれる文章に救いを求めインターネットをさまよっていた。でもわかっているのだ。日常生活は終わらないままに続くし、推しはぼくらの人生の一部だけど、推しの人生にぼくらはいない。
実際には救いなんてどこにもないにも関わらず、ぼくらは救いを求めてさまよう。たしかに救いはないんだけど、たまに痛みの共有がなにかを癒すときがある。
こういうことがあるから、ぼくは文章を書くことをやめられないし、文章を探し救いを求めることをやめられないでいる。