誰のためのことば
最近このブログを始めたことで感じるようになったのだが、ぼくの文章は尻切れトンボぎみだ。
ぼくは友人と対話することが大好きで、いつも彼らに対して語り掛けることで自分の考えを前進させてきた。
だからこそ、話し方が投げ掛けるだけ投げ掛けておしまいになっているのだと思う。
自己完結しているわけではないのだけれどぱっとそこで終わってしまったように見えてしまうように感じる。
他の人の文章をじっくりこの点を意識して読むことはなかなかないのでわからないなりに、もっと自分のなかで構成をしっかりできる話し方がいいよなとも思う。
一緒にいる人間によって文章のくせが生まれるって面白い。ぼくだけが頭の中に考えていることを口から出すときには、他の人と一緒に作り上げた方法を使っている。
言葉が生まれたのはコミュニケーションのためではなく自分の頭の中で考えるためだと聞いたことがある。その説が正しいなら、きっとコミュニケーションのための言語はこのあともたくさん形を変えていくのだと思う。
ぼくが死んでからずっとずっとあと、ぼくの文章は誰にも読めないものになるのかもしれない。そういう刹那性って、好きだ。