素人は黙っとれ
恥を忍ぶ、という言い回しが日本語にはある。
ぼくはとっても日本人なのでよく、なにかを始めるとき、なにかをしなくては、と思い浮かべたときに恥をかく未来を想像しては足踏みをしてしまう。
民族としてセロトニントランスポーターが少ない、と脳科学者の中野信子氏が言っていたことを言い訳にしたりもできるかもしれない。
でも、いままでの人生で恥をかいて、あ~~~~死にたいな~~~~~と思わせるようなことをしたときに、肝心の不安心は生まれていなかったように思う。
ということは、ぼくの不安感知は、仕事ができないやつなのではないだろうか。なんでこんなに、人生の選択を仕事をできないやつに左右されているのだろうか。
新しい決断をするとき、直感力を鍛えて仕事のできるやつにだけ決断決定権を渡したいものである。