許容される異端
自分のやりたいことってよくわからない。
最近、働く場所を探している。
働くなら、働きたい相手と働きたいだろう。ぼくだってそうだ。
それだからこそ、選ばれないことはぼくの中の何かを壊す。
今までぼくは、友人たちと似通った選択を繰り返すことで同じような環境を手に入れてきた。
社会的な評価より、友人たちから仲間と認められることのほうが、ぼくにとっては大事だ。
友人たちが名前の知られた大企業で働いていることが、ぼくにはとても誇らしい。
それなのにぼくは今はまだ不安を抱えている。そのせいで完全に祝福できていないように感じる。それがとても申し訳ない。
自分のやりたいことを考えれば、というけれど、ぼくにはもうやりたいことがよくわからない。
許容されていたいし、認められていたい。それが満たされてこそやりたいことをやりたくなると思う。
ぼくにはとても難しいことに感じられる。
ぼくは「英雄たちの選択」が大好きなのだが、あの番組に呼ばれている人たちは、人とは違う形で社会に受け入れられていてすごいなと思う。
先日楠木正成を特集していた時も、異端が大衆に迎合してもうまくいかないという話をしていて、感動した。今受け入れられている異端以外には言えないことだと思う。
どの道を選んでも、正解じゃない。どの道を選んでも、最善にしていきたいのだろう。
未来のぼくは、もうこういう悩みを抱えていないといいな。