ひとりごとですけども

ひとりごとをひとり呟く場所

おばあちゃん、どこからきたの

ぼくの曾祖母は、きっと、日本人ではなかった。

これはあくまで推測だし、なにか確固たる証拠があるわけでもない。彼女の名前は純日本的な名前だし、息子である祖父によると彼女には日本人の両親がいたという。生まれは不明だけれど、小学校の時には日本に住んでいたといわれている。

それでも、ぼくは彼女の血縁は、日本人ではなかったと思う。

写真でしか知らないぼくの曾祖母は、ぼくが思うどこか世界の片隅にある田舎で庭のベリーをジャムにしているようなおばあさんだ。

ぼくは小さい頃から祖父が大好きな子だった。ぼくの祖父は、そんな曾祖母の息子だけあってなかなか日本人らしくない見た目をしている。

目の色はとても薄く、腰の位置が平成生まれのぼくより高い。祖父は兄弟のなかで一番日本人らしいので、他の兄弟はよく海外の人だ、と思いこまれていたそうだ。ぼくの母もよく、ハーフだと勘違いされている。

が、ぼくまでくるとその血は薄まっている。見た目には感じられない曾祖母の血に、ぼくは自分のなかにあるなにかがつながっているのではないかとよく思う。

どういう人生だったのか、どういうルーツを彼女はぼくにつないでくれたのか、じっくりぼくと話してほしい。ゆっくり、庭でつんだベリーでつくったジャムを食べたりしながら、ぼくに血をつないでくれた彼女の声を聴きたい。

自分が思う自分の価値って、いくつもの面がある。

ぼくにとって、友人としてのぼくや、自分のことが好きかという自己肯定感は高いと思う。しかし、社会に生きる人間としての自己肯定感はぼくのなかにはない。

就職活動をしていた時、家を出る用意をしながらずっと嫌だなと感じていた。ぼくが働きたいわけでも、ぼくに金を出して雇うような価値があるわけでもないのに、なにを至極当然のように準備しているんだと思うとどんどんこころが重く感じられた。

ぼくは父親と折り合いが悪く、社会で働いた経験の少ない専業主婦の母と二人で過ごす時間が長かった。母に育まれた人間としての自己肯定感は、友人であることや自分自身を気に入っているという意味でぼくのなかに確かに存在している。

だからこそぼくはずっと、自分の自己肯定感は高いと思っていた。自分のことが好きで、友人としての自分にも愛着があった。

友人と会っている間、一人でいる時間、ぼくはぼくのことが好きでいられる。

 

しょうがない的な

前にもすこし言及した気がするけれど、ぼくは大学受験で自分が本当にバカで期待に応えられない子だと周囲にばれると思って心底恐怖してぐるぐるその事で悩んでいた。

当時最も自分にとってよい解決策は、大学受験の結果発表直後までできるだけ遊んで思い残すことがないようにして、もし全部うまくいかなかったらまあその時は死ぬことだろうと思っていた。
結局そのときは、勉強を頑張って周囲の期待にこたえうるような学力をつけようとするでもなく、親を説得してもう少し下のレベルの大学にいく自分を受け入れてもらう努力をするでもなく、ただただ毎日学校で友達といるときだけを楽しんでそのあとは家で机に向かってただ時が止まらないかな、と他力本願に思うだけですごしていた。

そのころ親しくしていた大学生に、それは考えてるんじゃなくてずっと悩んでるだけだろと言われたのをよく覚えている。ぼくはきっとどんなに苦しんでも考えるんじゃなくて悩んでふわ~っと時の経過を待つのではないかと腑に落ちたのだ。

そもそもぼくにはいま自分が悩んでいることに対しての問題解決能力が人間に備わっているとは思えないのだ。

例えばQUEENの曲をきいて、ぼくも同じことで悩んでいると共感したり、大昔の出来事に関する文献を読んで思考回路はいまの人間と大差ないなって思うときより強く実感する。

そりゃ考えてみればいままで地球の歴史で気が遠くなるような数の人が同じようなことで悩まされているんだし、外からの予想外の刺激で問題を回避できたりするかもしれない以外はもうどうしようもないと思う。ぼくたちにとって悩みは常に天災と同じようなものだと思うのだ。

大学受験で失敗したら自殺すればいいやって思っていた高校三年生のぼくは、死にたいわけじゃなかった。ただ天災が起きているんだから自分が死んだってしょうがないよな、というきもちだったのだ。

こういう思考回路はなかなか人に説明しづらいし、受け入れてもらいづらい。まっとうな人間はこういうことで悩んだりしないのだろうか。とりあえず、今、ぼくはまだ天災の最中生きている。

ぼくらのミュージックライフ

昨日の関ジャムを見ていて、人にはそれぞれ人生に流れる音楽があってそれは世代とか親とかいろんなものに影響されて独特のかたちになるのだと思った。

ぼくにも、そういう歌がたくさんある。どういう音楽と一緒に育ってきたかを聞くこと以上に無意識下のぼくを知る方法はないと思うくらいだ。

ぼくの母は、80年代の洋楽とユーミンが好きで、それをBGMにぼくを車でどこにでも連れて行ってくれた。大人になってからも、耳なじみのある音楽は自分の育ったころはやっていた曲ではなくて母の影響を感じる選曲だ。

小学生のころ、ぼくは初めて音楽で泣く人に出会った。親友の家でふたりで彼女が好きな音楽を聴いているとき、彼女がその物語に感動して泣いているのを見てひどく驚いたものだ。

幼稚園児だったころ生まれて初めて買ってもらったCDには、生まれて初めてヘビーローテーションした曲が入っていた。車のBGMをはじめて自分で希望して変えてもらったのを覚えている。

当時のぼくには、音楽は車のBGMとして聞くものだった。それが変わったのが中学二年生のとき。

修学旅行で校則を破ってウォークマンを持ち込んでいた友人がいた。ぼくは音楽を持ち歩けてずっと聞いていられるなんて、と衝撃を受けたのを覚えている。次の誕生日にはすぐにiPodを買ってもらって自分だけのプレイリストを持ち歩けるようになった。

高校生になると、ミュージカルドラマにはまって音楽をストーリーや感情移入の一部と認識するようになった。このころから初めて歌詞の世界と自分の思い出をシンクロさせて音楽を聴くようになったと思う。

大学生になって、ぼくはライブの楽しみ方を知った。ライブビューイングがいちばん性に合っているようにも思えるが、映像に残らないかもしれない現場の空気を感じていつも聞いている曲を実際に歌っているところを見るって面白い。

ぼくにとって音楽はずっと聞き続けるものなので、アップデートのスピードは速くない。でもぼくはそういう楽しみ方が自分には合っていると思う。

これからはどんな音楽と生きていくのか、ぼくは人の音楽人生にどうかかわっていくのか、考えるとおもしろくって楽しいものである。

先日、手で書いていない文章は賢い振りをしがちだと聞いた。それを聞いて少し怖くなってブログから遠ざかって過ごしていた(笑)

確かに、というか手紙を書くときはこう、俳句を作るときはこう、そしてパソコンで文章をかくときはこう。という無意識化に意識している様式があるように思う。

学校の課題でもないし、誰かに強制されたわけではないのだから好きに書いていいはずなのに、少しは賢くみられたいというような心持ちがあるのだろう。

手で書いている文章でも人に見られていることを意識してしまうと少しいつもと変わってしまう。不思議なことだ。

ぼくは英語に少々苦手意識があるので、英語の文章を書こうという気がさらさら起こらない。これも人に見られる場所でしか英語の文章を書かない性分が関係していることだと思う。その証拠に、誰かが言ったり書いたりしていたことを覚えていて自信があるようなときにはすらすらと書けるのだ。

誰のためでもなく書いているはずなのに、いつの間にやら雁字搦めに自分を見世物にしているのだろうか。意識していないと思っても意識しているって不思議だ。

ここまで思い出せてるんだけどなあ

ふとした瞬間、突然あたまの中で音楽のワンフレーズが流れることがある。

ぱっと浮かんだそのメロディーは絶対に知っている曲なんだけどなかなか曲名はでてこないくらいの距離感で、なんとか曲名を思い出そうともんどりうつことになる。

こういう時に思い出す曲って、もう何年も聞いてなかった曲だったりするから不思議だ。どういう風にどうして脳がそう命令したのかわからないけど。

そのフレーズは、ちょっと意識が離れるとすぐ忘れてしまうのでぼくはよく携帯に鼻歌を録音する。後から何度か繰り返し聞いてようやく曲名を思い出したりする。

でもたまに録音する前に忘れてしまう時がある。そういう音楽はきっとぼくの中にたまってたまって、また巡り巡って脳の命令に引っかかってふとしたときに流れるんだと思う。

ぼくの頭のなかのことなのに、ぼくにはわからないというのが不思議だ。おもしろいなあ。

ぼくと性別

ぼくのなかには、男の自分と女の自分がいると思う。とはいうものの、男も女もなく全部ぼくなんだけれども。

オレアナ」という舞台をご存知だろうか。この舞台は、見る人の視点によって全く異なる物語になると思う。

ぼくはこの舞台を見たとき、ずっと田中哲司に肩入れしていた。志田未来の態度に対して、「もっと強く主張しないとわからせられない」とか「実力を行使して出入り禁止にした方がいい」と思い続けた。

舞台を鑑賞したのち、一緒に見に行った人と感想を話していたら彼はずっと志田未来がかわいそうだな、と思っていたというのだ。ほう。

ぼくは仲のいい異性の友人から「同性のように話しやすい」と言われたり、同性の同期から「まるで異性のようで緊張する」といわれたりなにかと性別への認識を疑われる。

母はよくぼくとは異なる性別の子供がいる、と断定して話しかけられるらしい。ぼくは一人っ子なのでぼくの影響であることは間違いない。

こういう事態に遭遇すると、単一性の学校に通うとこういう風になるのかなと感じる。単一性のみが集まる学校では、性による区別が行われない。無意識化で男女を意識させられないことは、ぼくらの性意識を自由にする。ぼくは、男でもない、女でもない。ただぼくとして扱われるのだ。

皮肉にもその教育は、社会に放り出された後ぼくらを苦しめることも多い。それでもぼくは、自由なぼくでありたい。