ひとりごとですけども

ひとりごとをひとり呟く場所

旅行記っておもしろい。

年齢や環境、性格が自分と異なる人の描いている文章というだけで面白いのに、見知らぬ土地で知らないことをしているのが本当に面白い。

ぼくはいつでもどこかに行きたいのだ。今すぐにでも。旅行記は少しだけその気持ちを満たしてくれる。

新しい旅行の予定が決まると、またすぐにでも飛び立ちたくなる。長期の休みに誰にもはばからずにゆっくり過ごしたいのだ。急な呼び出しにも応じたくないし、働きたくもない。それも、正当な理由で。

海外旅行は、お金がないと楽しめないとも思う。それが無理やりにでもぼくを働かせる。働かない時間を得るための、労働時間が必要になる。矛盾しているようだけどぼくにとって旅行はしなければ楽になれるのに手放せないものなのだ。

ぼくは全然見ず知らずの人に喜びを発信しようと思わない。でも友達がぼくが書いた旅行記を読んでくれたら、それってとっても素敵だと思う。

 

茶葉に埋もれて冬眠したい

紅茶が好きだ。コーヒーも飲めないし、お酒も飲めないぼくにとって紅茶は呑み道楽を名乗らせてくれる唯一の相棒だ。

海外旅行に行くと、スーパーに行ったり地元で愛される紅茶屋さんを見つけるのがなにより楽しい。昨年もまた薬物密輸よりも多くの葉っぱを片手に帰国したのだが、もう枯渇してしまった。

昨年の紅茶はあたりで、人のいいおばさんたちが進めてくれたオリジナルブレンドが大変おいしかった。この紅茶は、日本人には音楽隊の町として有名なドイツのブレーメン仕入れたものだ。

現地に赴くと観光地化されていない様相に少し驚いた。その中にあって珍しく地元の人も認める観光スポットにシュノア地区(Schnoor)という場所がある。正味一か月ほどの滞在の間に何度も足を運んだのがここにある紅茶屋さんだった。

茶葉で紅茶を買ったものの旅行中にポットを買うわけにもいかないという話をしたら、マグカップ一杯分を茶葉で紅茶がいれられるようなアイテムを探しだしてくれた。今でも家で一杯だけの紅茶をいれるときにあの紅茶屋さんを思い出す。海外旅行に行きたいなあ

GIRLS JUST WANT TO HAVE FUN

GLEEのGirls just want to have funが好きだ。

Cyndi Lauperが歌うオリジナル版は、親との関係性が悪いことをあきらめていると思う。むしろもう一週回ってハイになって笑い話としてガヤガヤと音の響くクラブで友達に愚痴ったりしている。そういう曲だと思う。

軽快なリズムとちょっと不思議な調子の音で、非日常というか聞いている人とは少し縁遠い世界の話をしているみたいだ。

ぼくは親がよく聴いていたアルバムからこの曲を知ったが、特筆すべきお気に入りというわけではなかった。GLEEのGirls just want to have funを聞くまでは。

GLEE版の一番いいところは、スローになったテンポだと思う。曲初めのピアノと低くてゆったりしたフィンの声が、とても好きだ。

GLEE版のGirls just want to have funは、まだ親との関係をあきらめきれていない。思春期の彼らにぴったりのアレンジだと思う。親との関係を修復できるのか、自分として生きることが障害になるのか、思い悩む人に語り掛ける曲になっている。

この曲の歌詞に、mother dear we're not the fortunate onesという一節がある。Cyndiの歌うmother dearには少し皮肉めいたニュアンスがある。対してフィンのうたうこの一説には、哀れみがある。心の底から親しみを持っているのに、相いれないことを憐れんでいる。

Cyndiのうたう原曲には、このあと彼女はなにもかもを吹っ切って楽しい人生を謳歌できるのではないかという希望がある。今はもういないフィンが歌っていることもあって、GLEE版のGirls just want to have funにはもう取り返しのつかないなにかを感じる。

ぼくは、欠けたところに美を見出す日本人のはしくれとして、この曲が大好きだ。

おばあちゃん、どこからきたの

ぼくの曾祖母は、きっと、日本人ではなかった。

これはあくまで推測だし、なにか確固たる証拠があるわけでもない。彼女の名前は純日本的な名前だし、息子である祖父によると彼女には日本人の両親がいたという。生まれは不明だけれど、小学校の時には日本に住んでいたといわれている。

それでも、ぼくは彼女の血縁は、日本人ではなかったと思う。

写真でしか知らないぼくの曾祖母は、ぼくが思うどこか世界の片隅にある田舎で庭のベリーをジャムにしているようなおばあさんだ。

ぼくは小さい頃から祖父が大好きな子だった。ぼくの祖父は、そんな曾祖母の息子だけあってなかなか日本人らしくない見た目をしている。

目の色はとても薄く、腰の位置が平成生まれのぼくより高い。祖父は兄弟のなかで一番日本人らしいので、他の兄弟はよく海外の人だ、と思いこまれていたそうだ。ぼくの母もよく、ハーフだと勘違いされている。

が、ぼくまでくるとその血は薄まっている。見た目には感じられない曾祖母の血に、ぼくは自分のなかにあるなにかがつながっているのではないかとよく思う。

どういう人生だったのか、どういうルーツを彼女はぼくにつないでくれたのか、じっくりぼくと話してほしい。ゆっくり、庭でつんだベリーでつくったジャムを食べたりしながら、ぼくに血をつないでくれた彼女の声を聴きたい。

自分が思う自分の価値って、いくつもの面がある。

ぼくにとって、友人としてのぼくや、自分のことが好きかという自己肯定感は高いと思う。しかし、社会に生きる人間としての自己肯定感はぼくのなかにはない。

就職活動をしていた時、家を出る用意をしながらずっと嫌だなと感じていた。ぼくが働きたいわけでも、ぼくに金を出して雇うような価値があるわけでもないのに、なにを至極当然のように準備しているんだと思うとどんどんこころが重く感じられた。

ぼくは父親と折り合いが悪く、社会で働いた経験の少ない専業主婦の母と二人で過ごす時間が長かった。母に育まれた人間としての自己肯定感は、友人であることや自分自身を気に入っているという意味でぼくのなかに確かに存在している。

だからこそぼくはずっと、自分の自己肯定感は高いと思っていた。自分のことが好きで、友人としての自分にも愛着があった。

友人と会っている間、一人でいる時間、ぼくはぼくのことが好きでいられる。

 

しょうがない的な

前にもすこし言及した気がするけれど、ぼくは大学受験で自分が本当にバカで期待に応えられない子だと周囲にばれると思って心底恐怖してぐるぐるその事で悩んでいた。

当時最も自分にとってよい解決策は、大学受験の結果発表直後までできるだけ遊んで思い残すことがないようにして、もし全部うまくいかなかったらまあその時は死ぬことだろうと思っていた。
結局そのときは、勉強を頑張って周囲の期待にこたえうるような学力をつけようとするでもなく、親を説得してもう少し下のレベルの大学にいく自分を受け入れてもらう努力をするでもなく、ただただ毎日学校で友達といるときだけを楽しんでそのあとは家で机に向かってただ時が止まらないかな、と他力本願に思うだけですごしていた。

そのころ親しくしていた大学生に、それは考えてるんじゃなくてずっと悩んでるだけだろと言われたのをよく覚えている。ぼくはきっとどんなに苦しんでも考えるんじゃなくて悩んでふわ~っと時の経過を待つのではないかと腑に落ちたのだ。

そもそもぼくにはいま自分が悩んでいることに対しての問題解決能力が人間に備わっているとは思えないのだ。

例えばQUEENの曲をきいて、ぼくも同じことで悩んでいると共感したり、大昔の出来事に関する文献を読んで思考回路はいまの人間と大差ないなって思うときより強く実感する。

そりゃ考えてみればいままで地球の歴史で気が遠くなるような数の人が同じようなことで悩まされているんだし、外からの予想外の刺激で問題を回避できたりするかもしれない以外はもうどうしようもないと思う。ぼくたちにとって悩みは常に天災と同じようなものだと思うのだ。

大学受験で失敗したら自殺すればいいやって思っていた高校三年生のぼくは、死にたいわけじゃなかった。ただ天災が起きているんだから自分が死んだってしょうがないよな、というきもちだったのだ。

こういう思考回路はなかなか人に説明しづらいし、受け入れてもらいづらい。まっとうな人間はこういうことで悩んだりしないのだろうか。とりあえず、今、ぼくはまだ天災の最中生きている。

ぼくらのミュージックライフ

昨日の関ジャムを見ていて、人にはそれぞれ人生に流れる音楽があってそれは世代とか親とかいろんなものに影響されて独特のかたちになるのだと思った。

ぼくにも、そういう歌がたくさんある。どういう音楽と一緒に育ってきたかを聞くこと以上に無意識下のぼくを知る方法はないと思うくらいだ。

ぼくの母は、80年代の洋楽とユーミンが好きで、それをBGMにぼくを車でどこにでも連れて行ってくれた。大人になってからも、耳なじみのある音楽は自分の育ったころはやっていた曲ではなくて母の影響を感じる選曲だ。

小学生のころ、ぼくは初めて音楽で泣く人に出会った。親友の家でふたりで彼女が好きな音楽を聴いているとき、彼女がその物語に感動して泣いているのを見てひどく驚いたものだ。

幼稚園児だったころ生まれて初めて買ってもらったCDには、生まれて初めてヘビーローテーションした曲が入っていた。車のBGMをはじめて自分で希望して変えてもらったのを覚えている。

当時のぼくには、音楽は車のBGMとして聞くものだった。それが変わったのが中学二年生のとき。

修学旅行で校則を破ってウォークマンを持ち込んでいた友人がいた。ぼくは音楽を持ち歩けてずっと聞いていられるなんて、と衝撃を受けたのを覚えている。次の誕生日にはすぐにiPodを買ってもらって自分だけのプレイリストを持ち歩けるようになった。

高校生になると、ミュージカルドラマにはまって音楽をストーリーや感情移入の一部と認識するようになった。このころから初めて歌詞の世界と自分の思い出をシンクロさせて音楽を聴くようになったと思う。

大学生になって、ぼくはライブの楽しみ方を知った。ライブビューイングがいちばん性に合っているようにも思えるが、映像に残らないかもしれない現場の空気を感じていつも聞いている曲を実際に歌っているところを見るって面白い。

ぼくにとって音楽はずっと聞き続けるものなので、アップデートのスピードは速くない。でもぼくはそういう楽しみ方が自分には合っていると思う。

これからはどんな音楽と生きていくのか、ぼくは人の音楽人生にどうかかわっていくのか、考えるとおもしろくって楽しいものである。